僕が3年9か月勤めた三菱東京UFJ銀行を辞めるまで
【退職のご挨拶】
遅くに失礼します。
突然ではございますが、この度、今月一杯を以て、3年9か月勤めた三菱東京UFJ銀行を退職致します。
多くの方には、このような形でお伝えすることになってしまい、申し訳ございません。
どうか誤解しないで欲しいのは、会社の人間関係で悩んだり、何か辛いことがあって辞めるのではないことです。
入行してから今日まで、ずっと人に恵まれて過ごしてきた。
この会社を通じて出会えた多くの人たちが、今も大好きです。
就活の時、僕は都市銀行は、今の会社しか受けていません。
正直、全く志望していませんでした。
銀行はおろか金融自体に興味を持っていませんでした。
ただ、面接を通して感情が変わった。
上手く伝えられないけど、出会う行員の方々の人柄の良さがとても伝わってきた。
こんな人たちと同じ組織に入ってみたい。
これから何をするか全く見当はつかなかったけど、こんな人たちと一緒に仕事というものをしてみたい。
自分が組織を選ぶ時は、人で決めたい。
そんな気持ちで、入行を決めました。
幸せなのは、当時の気持ちが全く変わらないまま、今も過ごせていること。
同期も先輩も後輩も、今でもうちの会社の人が大好きだ。
一方で、最後まで銀行の仕事に楽しさを見出すことは自分は出来なかった。
楽をしなくていいから楽しみたい。仕事はきっと楽しくなるはず、と思って3年間を過ごしてきた。
ただ、そうならかった。
まだ、たった3年しか働いてないのに、何が分かってそんなことを言えるんだと、思う自分もいた。
周りにもそう言われてきた。
悩んだ末に、最後は自分で決めました。
今まで何かを3年も続けた上で、楽しさを見い出せないものは無かった。
なら、もう別の道を選ぶべきだ。
そう思い、2か月前に退職の意思を会社に伝えました。
足が震えました。
自分がレールを踏み外そうとしていること。
不安と期待が7:3くらいで混ざり合った。
ただ自分の中で、消えない気持ちがあった。
ここにこれ以上いたら、自分は将来必ず後悔する。
違う道を選ばなかったことへの後悔。
まだ26歳の独身なら、リスクなんて大したものでは無い。
今後については既におおむね決めているので、また改めてお伝えさせて欲しいと思いますが、自分の好きなこと、やりたいことを追及して生きていこうと思います。
たった一度の人生、自分の好きなように生きてみたい。
レールに沿った人生は終わり。
気の赴くままに徒然と書いてきましたが、どうか応援して頂けると幸いです。
どうぞよろしくお願いします!
2015年12月21日
社会人となったのは2012年の4月。
それから3年9か月経った頃、僕は勤めていた三菱東京UFJ銀行を退職した。
上記の文章は、僕が銀行を辞める直前に書いたFacebookの投稿だ。
銀行で学んだものは多くあったが、同時に沢山の事にも悩み、さまざまな葛藤のなかで、最後は自分で退職を決意した。
銀行へ入社した事は全く後悔していない。
多くの社長に直に会えて話したり、給料を貰いながらお金の勉強ができたり、尊敬する上司や大好きな先輩や同期や後輩と出会えたり…本当に良い経験をさせて貰ったと思う。
ただ、僕は銀行と言う組織に嫌気が刺していた。
Facebook上では、「最後まで銀行の仕事に楽しさを見出すことは自分は出来なかった」と書いたが、それは少し語弊があって、もちろん楽しいと思うこともあった。
中小企業相手に営業し、リストラをやっていた頃はまさに楽しかった。
ただ、それ以上につまらない仕事はとても多かった。
銀行は形式的な事務作業が驚くほど多い。
「お客さんのための仕事」ではなく、「仕事のための仕事」が山のようにあった。
本部で見た、銀行内での争いも見るに堪えなかった。
そして正直に言って、銀行は旧態依然とした、変化を嫌う組織だ。
封建社会のような「上の言うことは絶対」という、時代錯誤で風通しの最悪なシーンはよく見て来た。
誰のために仕事をしているのか…本当に分からなくなり、この仕事を辞めたいと強く思った。
「誰かのために働いて、お金を貰う」のが仕事だと思っていたのに、結局は行内の上の顔色を伺って働く日々にうんざりした。
さらに悲しかったのは、銀行は努力を給料ではほとんど評価してくれなかったこと。
銀行の中でのみ通用する、出世やキャリア(僕は本当にこれらに興味を持てなかった)と言うもので応えられる。
実際に僕は入行してからずっと、同期の給料はほとんど横並びだったし、これからまだしばらくは差が出ないことも知っていた。
頑張って仕事をしても同じなのでは…と思うと、自分を追い込んで働く意欲も無くなってくる。
そして、これは自分の根っからの性分だが、単純に自由を求めたいと思った。
朝ゆっくりと起きれる日、そんな普通が欲しい。
満員電車に揺られて、自分がすり減るようなことはしたくない。
行きたいときに好きなところへ行けるようになりたい。
これからは、自分が本当にやりたいことをやろう。
これは、自分の人生だ。
誰かに決められるものではないし、嫌なことをずっと続ける必要もない。
震えた足で、僕は上司に退職届を出した。
そして、僕は銀行員というステータスを捨てた。
会社を辞めたいあなたに伝えたいこと
銀行を辞めて大きく変わったことが一つある。
それは、
「一切のストレスから解放された」
ということ。
振り返ると銀行員時代の3年9か月は人生でも最高にストレスが溜まり、辛い日々だった。
全部書いておこうと思うが、僕は銀行員のうちに2回、うつ病のような症状を発症した。
朝起きて、冗談でなく体が全く動かない。
会社の席に座るだけで、胸が締め付けられるように痛くなる。
一睡もできず、眠れない夜。
生きているのに、死んでいた日々。
20代の貴重な前半を充実して過ごせず、後悔が強く残っている。
でも、銀行を辞めたのと同時に、肩の荷が下りた。
もう誰かの顔色を伺うことも無いし、厳しすぎるノルマに追われることも無い、日曜日の夜に憂鬱な気分になることも無い。
眠れなかった日々は過去のものになり、目のクマは消えた。
愚痴を言うことも勿論、一切無くなった。
そして僕は、自分でやりたいことを選ぶようになった。
すると、周りの人間にも恵まれるようになった。
応援してくれる人たちが増えた。
自信を持って、自分の夢を語れるようになった。
圧倒的に自由な時間も手に入った。
銀行を辞めた今だから言えるが、
今は本当に、毎日が楽しくて仕方ない。
僕は一切のストレスから解放された。
一方で、銀行を辞める前は、世間的なものをとても心配していた。
まだ大して働いてもいないのに、たった3年ちょっとで会社を辞めて、社会不適合者だと思われないか。
あれだけ期待をしてくれていた親は何と言うか。
周りの目は…厳しい競争環境における脱落者だと思われないか。
しかし今となって分かったが、そんなものは一切気にする必要は無かった。
確かに否定的な意見は山ほど貰ったし、面と向かって批判されることもあった。
だがそういう人たちは、自ずと自分から離れて行った。
気づけば周りには、応援してくれる人たちで一杯になっていた。
そして社会的なステータスは、自分が思ってるほど大したものでは無かった。
ただの自己満の延長に過ぎない。
捨てて正解だったとも思える。
もしあなたが、今の会社を辞めようと悩んでいたら、今一度、自分が何に悩んでいて、自分が何を欲しているかを書いてみると良いと思う。
『失敗が無いとしたら、本当はどうしたいか』
僕の大好きな先輩が、僕に教えてくれた言葉だ。
人生は短い。
落ち着いて今の仕事についての気持ちを整理をして、それでも自分が会社を辞めたいと思うのであれば、その判断はきっと正しいと思う。
転職だって、一つの手段だ。
僕は、一歩踏み出そうとする人の背中を押したい。
きっと大丈夫だ。失敗しても、死にはしない。
やりたいことをやらないのが、人生における最大のリスク。
やりたいことって、誰でも必ずあると思う。
「俺にはやりたいことなんて特にない」と言っている人は嘘だ。
「やりたいことはあるが、自分には出来ない」と蓋をしているだけ。
蓋をして、愚痴ばかり言っているかっこ悪い大人はたくさんいるが、本当にそれでいいのか、と思う。
自分の好きな事をとことんやる為に、人生はあるはず。
僕は銀行を辞めて、幸せで充実な日々を手に入れた。
あなたもきっと、今の自分を変えれると思う。
どうかこの記事が、仕事で悩むあなたの背中をそっと押すものになれば幸いだ。
▼この記事は僕の銀行員時代の最終話です。第一話からは以下よりどうぞ▼
【最後にお願い】
BANK ACADEMYの小林亮平です!
現在はYouTube「BANK ACADEMY」に力を入れていまして、銀行員の頃の知識を生かしながら、国が教えてくれないお金の知識をわかりやすく伝えています。
ブログを読んで応援したいと思って頂けたら、ぜひチャンネル登録をして頂けると嬉しいです!