就活で志望度ゼロだったメガバンクに入行するまでの話
2016年1月。
僕は3年9か月勤めた銀行(メガバンク)を辞めた。
辞めた今となって、素直な思いを述べるならば、『会社を辞めて本当に良かった』と思っている。
たしかに、会社員として本当に多くの事を学ばせてもらったし、貴重な経験をさせて貰えた。
加えて、尊敬できる上司や、今でも大好きな人達の出会い、繋がりもあった。
銀行に勤めた事自体は、全く後悔はしていない。
ただ、その一方で、どうしても自分には割り切れない部分があった。
最後まで、『メガバンクに勤める銀行員』と言う仕事に楽しさが見出せなかった。
何より働いていて楽しいと思った事は、数えられるほどしか無かったのだ。
「ここにこれ以上いたら、自分は将来必ず後悔する。違う道を選ばなかったことへの後悔を」
そう思い、僕は会社から逃げ出した。
ここに、僕が3年9か月勤めたメガバンクを辞めるまでの経緯を、のこしておきたいと思う。
この経緯については、いくつかの記事に渡ってゆっくりと綴っていきたい。
忘れたい事も含め、覚えている限りの記憶を掘り起こす為に。
まずは、銀行に入行する前の、就職活動の時の話から。
1.メガバンクを志望したきっかけは“地震”だった
入行したのは、2012年4月までさかのぼる。
僕が新卒で入った会社は、㈱三菱東京UFJ銀行だった。
規模、知名度から言っても、日本で銀行と聞いて最初に浮かぶ会社だと思う。
誤解を恐れずに言うと、入行(会社に入る事を一般的には入社と言うが、銀行は入行と言う)するに当たって、特に強い志望動機は無かった。
もっと言うなら、当初は全く、銀行はおろか金融すら志望してはいなかった。
もともと大学のゼミでは、メーカー関係について勉強する機会が多かったので、自然とメーカーを志望していた。
(メーカーを志望した理由はもう一つあり、自分が大好きなラグビーで国内トップクラスのチームが多かったのでサポーターになろうと言う単純な動機だった)
そんな僕が、銀行に目を向けたきっかけは、“地震”だった。
2011年3月11日の、東日本大震災だ。
あの時の事はよく覚えている。
時刻は昼過ぎ、どこかの会社のエントリーシートをまだ書いていたと思う。
突然やってきた、地震。
幸いにも自分も家族も家も無事だったが、就職活動においては予期せぬ事態が起こった。
それは、自分にとって、本当に思いもよらない事だった。
地震によって、第一志望としていたメーカーが全て、面接時期を延期してしまったのだ。
一般的に、就活の面接は、4月1日からスタートするが、自分が志望していた会社は、5月もしくは6月に後倒しになってしまった。
僕は焦った。
これでは、4月から面接シーズンが始まっても、持ち駒が無い。
この予測不可能の事態に、第一志望がどうとか言ってる場合ではない。
とにかく、志望企業を増やさないとダメだ…
そう考え、もっと多くの企業へエントリーシートを送ることにした。
その時はもう多くの企業はエントリーシートの受付を終了させていたが、地震があったことにより、どの企業も受付期間を延長し、募集をしていた。
今思うと、地震が無ければ、僕は銀行を受ける事も無く、違う会社へ入っていたのだろう。
とにもかくにも、すぐに僕は銀行へのエントリーシートを書いた。
だが、結局メガバンクで面接を受ける事になったのは、のちに入行する事となる三菱東京UFJ銀行だけで、他の2つのメガバンクにはエントリーシートすら送らなかった。
理由はシンプルで、やはり、いまいち銀行と言うものに興味が持てなかった。
志望動機で何を書けば良いか分からなかった、と言った方が正しいだろう。
銀行と言う、目に見えづらい仕事をしている会社に熱が湧く事は無かった。
結局、OBに部活の先輩がいたと理由だけで、三菱東京UFJ銀行のエントリーシートだけは何とか書き上げ、面接にこぎつけた。
つくづく、縁とは不思議なものだと思う。
たった一社受けただけのメガバンクに入る事になるとは、その時は思ってもみなかった。
2.一気に本命志望となった面接の出来事
そして、いよいよ面接の時期になった。
確か4月の中頃だったと思う。
そのときになっても、変わらず志望度は低いままだった。
ここで内定を貰っといて、心に余裕を持って本命のメーカーを受けれたら良いな
あくまで自分の中にあった銀行は、滑り止めとしての扱い。
しかし、その気持ちは面接を通して、すぐに変わる事となった。
既に10社かそこらの面接は経験していたので、面接に対する大抵の流れは固まっていた。
それまでの、自分にとって『面接』と言うものは、あまり良い印象では無かった。
パターン化された形式的な質疑応答。
面接官から感じる、流し作業のような対応。
圧迫面接と表現しても良いような、威圧的なものもあった。
正直、面接とはこんなものかと思っていた。
所詮、何千人何万人といる学生をひとりひとり、見る意識なんて企業には無いのだ、と。
ーだが、三菱東京UFJ銀行の面接は、180度違った。
君、ラグビー部なんだね。大変でしょう。練習しながら就活もするのは。リラックスして。普段の君を見せてくれれば良いからね
これらは銀行の面接の時に、言われた言葉だ。
抽象的な表現となってしまうが、面接官だった銀行員の人たちの何とも言えないあたたかさを感じた。
その銀行の面接の回数は多く、連日のように夜に電話が鳴り、次の日にはまた面接に呼ばれていた。
どの行員面接官も、よく話を聞いてくれた。
プレッシャーもほとんど無かった。
ずいぶん親身になってくれて、こちらを知ろうとしてくれているのを感じた。
それがなんだか、とても嬉しかった。
そして同時に、自分の中で志望度が一気に上がっていくのを感じた。
『この人たちと一緒に働いてみたい』
『銀行の仕事と言うものはよく分からないけど、会社を人で選んでも良いのでは無いか』
『この会社を、第一志望にしたい』
あの時、感じた熱を、今でも覚えている。
僕は、会社を『人』で選んだ。
(そして結果的にその選択は、とても正しかった。職場の人間関係で苦労する事は、ほとんど無かった)
結局、計8回の面接を終えて、運よく僕は内定を貰えた。
最後の面接は、今でもよく覚えている。
後で知ったが、最後の面接官は、人事部の非常に偉い方だった。
面接のなかで、彼は僕に、一つ質問をした。
きみさ、正直に言って就活と部活、どっちが大事なの?
高校、大学とラグビー部だった自分は、ひたすら自己アピールを部活ネタで通していた。
そして当時は、部活の合間を縫って就活に取り組んでいる時期だった。
この突然の質問に、自分はとても戸惑ったが、頭の中では最適解を必死に探していた。
本心はもちろん、学生生活を賭けてやってきた部活だ。
だがその正直な言葉を、この就活と言う場で言うべきか。
非常識な学生だと思われないか。
葛藤のあげく、正直に答える事にした。
これでダメなら、悔いは無い。
仕方ないと思えるだろう。
……部活です
そう答えた矢先、最終面接官の彼は笑った。
良かったよ。君ならそう言うと思ってたからさ
彼は笑って握手を求めてきた。
茫然自失としていた自分は我に返り、すぐさまその握手に答えた。
彼と握手をしたその日から、僕は『銀行員』になった。
▼この記事は僕の銀行員時代の第一話です。続きは以下よりどうぞ(全六話)▼