「決めたんですね。では、これからあなたを応援する立場に回ります。
我が子のように、いつも君を見ていました。
僕の生き方を反面教師にして、あなたは自分の生き方を選んでください」
僕には、忘れられない人がいる。
銀行員の時にお世話になった上司だ。
銀行員の知識を数え切れないほど教えてくれて、いつも自分を気にかけてくれていた。
あの人の前では、よく泣いていた。
彼を思い出すと、尊敬と哀愁の感情が、自分の中で混ざる。
もうしばらく会っていないが、今でもよく思い出す。
一緒に仕事をした日々、銀行員を楽しいと思えた瞬間、人生で初めての辛い経験…。
今日は、僕が銀行員の頃の、忘れられない上司の話をしようと思う。

その上司の事は、『A課長』と呼ぶ事にしよう。
A課長と出会ったのは、僕が入行した時の支店の職場だ。
40代くらい、小柄な白髪が混ざったその人は、正直、初めて見た時は良い印象は無かった。
彼はリストラ課の課長をしていて、部下の仕事に物凄く厳しい人に映ったからだ。
恐ろしく頭が切れる、賢い人だったが、仕事への熱はすさまじく、職場にも、彼の荒い語気がよく飛んでいた。
リストラ課とは?
経営が上手く行かず、業績が右肩下がりになってきている会社の担当をする課。
企業の業績回復、資金相談などのサポートを担う役割だ。
僕は会社に入ってしばらく経ち、その人の下で働く事になった。
それまでは何度か話した事はあったが、率直に言ってお互いに良い印象は持っていなかったと思う。
他の部下と同じように、僕にも厳しい当たりをしょっちゅうしてきた。
僕も黙っていられず、不満な態度を出して、よく課長とはケンカをした。
隣の席同士で、やりあっていたのを今でもよく覚えている。
そんなバトルの日々が続いた時。
ふと、課長の優しさがかいま見えた瞬間があった。
人事面談とは?
銀行員にとっては、何より大切な面談だ。
その面談次第で、次にどんな店に転勤するか、そして出世していくかにも関わっていく。
(メガバンク銀行員は2-3年に一度転勤する、非常に慌ただしい生き物だ)
課長は、とても丁寧に、僕に面談のイロハを教えてくれた。
実際の面談では、驚く事に、課長が教えてくれた質問がほとんどそのまま来た。
A課長は、ただ聡明なだけでなく、銀行の内部事情にも非常に精通している人だった。
一つ、忘れられないエピソードがある。
ちょうど、面談の前日の夜に、課長から僕に電話が来ていた。
僕はすでに寝ていたので電話に出れなかったが、
面談を終えた事を課長に報告し、電話に出れなかった旨を謝罪すると、
正直、その時に初めて泣きそうになったと思う。
課長は、いつも部下には厳しさを求めたが、その分、自分を見守っていてくれている事を知ったのだ。
僕のA課長を見る目は、大きく変わっていた。
この人のために、もっと仕事を頑張りたい。
僕は、みずから進んで仕事に取り組むようになった。
課長も、僕の変化を感じ取ってくれたのか、どんどん新たな知識を教えてくれる。
僕の銀行員としての成功のために、こんなアドバイスをしてくれた事もあった。
僕は上司の教えの下、仕事に邁進する日々を送った。
今思えば、銀行員時代を楽しいと感じた、唯一の瞬間だったかもしれない…。

課長と一緒に働ける日々は、もう長くは残っていなかった。
ある事件が起きてしまったのだ。
ささいな事から、僕は当時の支店長、すなわち職場のトップの反感を買ってしまった。
その影響で、僕も課長も、職場で干される事になってしまったのだ。
銀行は、昔ながらの封建社会の体質が残っている。
すなわち、『トップの言う事こそ絶対』の世界だ。
間違いなく職場では、トップは王様だった。
職場の誰もが、王様の『右向け右』に従う。
無理難題を押し付けてくるから、神様ではなく王様だったのだ。
僕らに向けられるトップの目は日に日に厳しくなり、僕のせいで怒られている課長の姿を見るのは、本当に胸が痛かった。
そんな日々が続き、僕はある時、精神を崩してしまった。
朝起きても、体が動かなくなり、職場の椅子に座るだけで胸が締め付けられるように苦しくなる。
そんな経験は、人生で初めてだった。
自分がうつ病に近い症状を発するなど、考えもしなかった。
ついに我慢できなくなり、僕はA課長に相談をした。
これ以上は無理だと、率直な思いを伝えた。
あの時も、僕は泣いていたと思う。
すると課長は、こんな言葉を僕にくれた。
僕ら銀行員は3年に一回は転勤する。
今の職場は大変かもしれないが、次に行く場所がそうとは限らないさ。
君はまだ一つの職場しか見てないんだから、次を見てからでも遅くは無いだろう?
その言葉を頼りに、僕は転勤の辞令が出るまで耐え忍び、ふたたび仕事に励む事にした。
課長の言葉を信じて、もう少しだけ、もう少しだけ頑張るんだと、自分に言い聞かせた。
そして幸いな事に、その相談の3か月後には、転勤の辞令が出たのだ。
僕は、辞令を聞いた瞬間、喜びが隠せなかった。
ついにこの日々が終わるのかと、にわかには信じられなかったからだ。
さらに幸運は続いた。
僕は課長と一緒に、東京の本部へ転勤する事になった。
部署は違ったので、一緒に働ける事は無くなったが、それでも僕は嬉しかった。
また近くに課長がいてくれる事が、嬉しかったのだ。
東京に戻ってからも、課長とはしばしば会っていた。
ある夜、課長から、酒の席でこんな話を聞いた。
でも、僕にはそれが出来なかった。
他にしたい事も無いし、家族もいたからね。
僕にはもう、仕事しかないんだよ。
銀行員としての仕事が無くなったら、何をしていいか分からない。
定年まで残りわずかだけど、僕はここにしがみつく事にするよ…
その言葉が忘れられなかった。
初めて聞いた、課長の心からの本音。
あの人もきっと―――。

新しい職場で1年あまりを過ごした僕は、課長に連絡をしようとしていた。
結論から言うと、新しい職場でも以前と同じような光景を見てしまっていたのだ。
そして僕は前の職場と同じように、うつ病に似た症状を発症してしまった。
眠れない夜が続く日々、朝起きて動かない体…。
もうこの会社は、僕には合っていない。
銀行員は、僕には向いていないのだと、僕は自分の中で答えを出そうとしていた。
ただ、色々な人に退職を相談した時は、「辛くなって退職を選ぶってさ、それってただ逃げてるだけじゃないの?」と言われる事もあった。
その上で、課長と飲みに行った時に相談もしたが、その時に課長からはこんな言葉を言われた。
なら、逃げたって良い。良いさ。
仕事が辛いなら、逃げたって構わない。自分が無くなる前に
僕はこの言葉を、死ぬまで忘れないと思う。
それくらい、噛みしめて心に刻んだ言葉だった。
翌日、最後に会社のメールで、課長にメッセージを送った。
会社を辞める事を決めた事。
まだこれから何をしていくか分からないが、好きな事を仕事にしたいと思っている事。
課長には、銀行員として沢山の事を教わり、本当に感謝をしている事。
一緒に仕事ができた事、充実していた日々…。
返事は、間もなく返ってきた。
「決めたんですね。では、これからあなたを応援する立場に回ります。
我が子のように、いつも君を見ていました。
僕の生き方を反面教師にして、あなたは自分の生き方を選んでください」
あの人は、きっと僕に投影をしていたんだと思う。
自分の生き方を選べなかった事への後悔。
反面教師という言葉。
僕は課長への、言葉にできないほどへの感謝を胸に、銀行を退職し、独立という道を選んだ。
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あれから、1年が経った。
課長の連絡先は、今となっては手元に残っていない。
多分もう会う事はないのかという思いが、頭をよぎった。
ダメ元でFacebookで検索をしてみた。
すると、課長を見つけた。
僕は、少し迷った後、メッセージを送った。
「課長、ご無沙汰しています。
銀行で部下だった、亮平です。
会社を辞めて一年ちょっとが経ちましたが、何とか元気にやれています。
勝手ながらこちらからご連絡させて頂きました。
もし宜しければ、またお会いしてお話が出来ればと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します」
まだ返事は来ない。
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